富岡製糸場が世界遺産に!富岡製糸場のここがスゴイ!


富岡製糸場、世界遺産登録バンザーイ!

でも、富岡製糸場って、世界遺産に
選ばれるほど?

イコモスが、
「これまでにないくらい完璧だ!」
と言っていうけど、いったい何がスゴイの?

地元民じゃなければ、意外と知られて
いないのが事実なのです  (;^_^)A

そこで!

祝・世界遺産登録!!
富岡製糸場のここがスゴイ!


がっつりお送りしちゃいます!

しかも、8歳の子供にも分かるくらい、
簡単に、分かりやすく
書いちゃいます。

管理人の近所に住む8歳の小学2年生、
綾美ちゃん監修ですから間違いありません!

これであなたも、富岡製糸場に
めちゃくちゃ詳しくなれちゃいますよ (^▽^)ノ



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祝・世界遺産登録!富岡製糸場のここがスゴイ!ベスト5



その前に、そもそも製糸場ってなぁに?
という基本的なところをおさえておきましょう。


富岡製糸場は、シルクの材料になる
生糸を作るための工場
です。

まずは、こちらの写真をみてください。

000246521

左が生糸(きいと)、右はまゆです。

生糸は、まゆからできています。

まゆは、蛾という虫の幼虫、かいこが、
口から吐き出して作る、さなぎに
なるための部屋です。



それまで日本の人々は、お家のなかで
かいこを飼って、まゆを作らせ、
生糸を作っていました。

日本が外国と貿易をするようになってから、
日本の生糸はとても品質が良かったので、
外国の人々にとても人気でした。

富岡製糸場は生い立ちがスゴイ!


そこで、今から140年ほど前の1872年、
政府が富岡製糸場を作りました。

もっと生糸を作ることができるように、
機械をたくさん入れた工場を作ったのです。



富岡正面

日本にはまだ生糸を作るための機械が
なかったので、フランスから機械を買いました。

富岡製糸場の中には、生糸を作るための
フランス式の機械が、300台もあります。

300台もあったのは、世界中でも
富岡製糸場、ひとつだけでした。



政府が富岡製糸場を作った理由は、
それだけではありませんでした。

富岡製糸場で働いて生糸を作る技術を
学んだ人たちが、今度は日本のいろんな
地域で、生糸の作り方を教えるようになりました。

すると日本全体で生糸作りがさかんになり、
日本が生糸を生産する量は、
1909年世界一になりました。



1930年代には世界で作られる生糸の
およそ80%が日本で作られたものでした。

それから1952年には、自動で生糸を作る
機械が開発されました。

フランスから買った機械で生糸を作って
いたのに、それを日本人が改良して
世界一の自動の機械を作ったのです。



富岡製糸場の技術は海を渡り、
世界へと広まっていき、自動の機械は
今でも世界の一番新しい技術です。

富岡製糸場って、日本の技術って、
スゴイですね (゜∇^)d



工場を残した人々の熱意がスゴイ!


世界一だった富岡製糸場ですが、
世界中で生糸が作られるようになると、
生糸の値段がどんどん安くなっていきました。

日本では生糸の値段を安くしてしまうと、
働いている人たちにお給料が払えなくなります。

それでだんだんと日本では生糸が
作られなくなっていきました。



1893年には、民営化といって、政府が
一般の人に富岡製糸場を売りました。

1939年には、片倉工業という会社が
富岡製糸場を買って、戦争中も
生糸を作り続けていました。

しかし、生糸の値段がとても安くなったり、
日本の女性が和服を着なくなったりした
ことから、1987年ついに生糸を作らなくなりました。



びっくりするのは、ここからです。

もう生糸を作るのことない、5万平方メートルという
広い広い敷地にある工場の、何百台という機械たち。

ちなみに、東京ドームが4.6万平方メートルです。

あなたなら、この大きな工場をどうしますか?



ほかの人に貸しますか?

誰かに売りますか?

それとも、壊して何にもない土地にして、
そこに新しいビルを建てますか?



片倉工業は、そのどれもしませんでした。

「貸さない、売らない、壊さない」

工場を持って、機械を壊れないようにしている
だけで、1年で1億円かかることもあったそうです。



それでも、富岡製糸場を守り続けました



壊れた機械をなおす時も、お金や時間が
かかっても当時のままの方法でなおしました。

だから機械がとても良い状態で残っていて、
世界遺産に選ばれる理由のひとつになっています。

それは、富岡製糸場が2004年に富岡市へ
寄贈(無料であげること)されたあとも続いています。



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工女さんがスゴイ!


工場で働いていたのは、おもに工女
(こうじょ)さんと呼ばれる、10代や
20代の若い女性たちでした。

工女さんたちは1等、2等、3等、等外の
4つのランクに分かれていました。

1等の工女さんの年俸(ねんぽう)、
1年間にもらえるお給料は25円、
もっとも高かった人では100円という人もいました。



100円は、現代のお金ではチョコレート
1枚くらいしか買えませんが。

当時は、100円あれば家が1軒建つほどでした。
それが毎年良く働くと、もらえたのです。



100円工女さんの技術はスゴイものでした。

その証拠に、、1873年フランスのウィーンで
行われた万国博覧会で賞をとっています。

工女さんが食べる食事も当時としては
大変豪華なもので、食事代も、お医者さんに
かかるお金も、工場が出してくれました。



とても豪華なシルクの着物を買ったり、
夜にはお店がたくさん出て、工女さんたちが
楽しむ写真が残っています。

富岡製糸工場 工女 世界遺産



工場ができた頃、働く時間は1日で
平均すると7時間45分で、
日曜日はお休みでした。

現代のお父さんたちの方が、
もっと長く働いてますよね?



工女さんへのアンケートで、つらいと
答えたのは3%でした。

現代のお父さんたちへのアンケートは。。。

とると可哀想になると思います、たぶん  (;^_^)A



昔、工女さんとして働いていた
おばあさんも、新聞の取材に、

「糸の検査は厳しかったけど、楽しかったさ」

と答えています。

工女さんであることを誇りに思って
働いていたそうです。

女性が専門の技術を身につけて、社会に
進出していくことは難しかった時代。

誇りを持って働くことができた
工女さん、スゴイですね!




おわりに


いかがでしたか?

8歳の子供にもわかる!を目指して
書いてきましたが、富岡製糸場のスゴさ、
わかっていただけたでしょうか?

世界遺産になったのは、あくまで
「富岡製糸場と絹産業遺産群」
です。

富岡製糸場のほかにも、荒船風穴とか
素敵なところがあるのですが、
それはまた次の機会にお話したいと思います。

それより何より、ここまで読んでくださった
あなた、富岡製糸場に行ってみたくなったのでは?

ぜひぜひ次の週末は富岡製糸場へ
足を運んでみてください!

こちらの記事がお役に立てるかもしれません (・∀・)ノ

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